大建設計75年の歩み
75 YEARS OF HISTORY
75年の歴史を紐解き、明日を見定める
1949年 大阪府大阪市西区京町堀に新社屋を新築
キール構造の例:水上町中部中学校
手前:社内報 No.46(1975年1月発行)掲載の
「電算室だより その4」から IBM製RJE
奥:社内報 No.49(1975年10月発行)掲載の
「電算室だより その7」から日照計算プログラムの紹介記事
左:大建設計 大阪事務所/右:大建設計 本社(東京事務所)
75 YEARS OF HISTORY
In
1948
From
1948
to
1959
From
1960
to
1974
From
1975
to
1984
From
1985
to
1999
From
2000
草創期
相次ぐ受注
社の礎
新しい構法
景気拡大
社名変更
本社移転
戦後最大の不況
構造解析技術
収益構造の多様化
空前の好景気期
多数の実績
技術力研鑽
地域密着を強める
七十五周年
大建設計75年の歩み
75年の歴史を紐解き、明日を見定める
池田宮彦、高橋慶夫、西嶋徳太郎の三代表により1948年(昭和23年)、大阪市西区土佐堀通にて株式会社大阪建築事務所を設立。相次ぐ受注で順調なスタートを切り、所員は9名から20名に増加。翌1949年には京町堀に新社屋を新築し、移転した。個人事務所が主流であった当時、創業者3人がそれぞれの専門領域をもちながら協力し、一つの建築設計事務所を主宰するシステムは極めてユニークなものであった。復興期に合わせて全国での活動体制を整え、社の礎を築く。
創業期から安定期に移り、社員は150名を超え、経営基盤を確立。新しい構法の開発を以前に増して手掛けて積極的に採用、多数の実績を残す。東京オリンピックに向けた建設ラッシュと景気拡大期には、製鉄所や海外プラントなど重厚長大型産業の設備投資の需要に応え、官公庁、住宅公団、商社、電鉄その他企業からの受注も増加。「油壺マリンパーク水族館」は娯楽性の高い画期的な水族館として1968年に開園させた。1971年には経営環境の変化を受けて社名を「大建設計」と変更。
オイルショック以来、戦後最大の不況に見舞われ日本経済が拡大から均衡の時代へと移るなかで、組織を再整備。大阪事務所の設計受注回復を経て、仕事の中心が大阪から東京へ明確に移行することを受けて1978年に本社を東京に移籍。総合組織事務所としての色彩を鮮明に、より合理的な経営によって売上は回復。第二次石油危機を迎え、産業界にいっそうの省エネ・省資源化が求められる厳しい経済環境のなか、大型構造物の構造解析技術を買われて新しい分野への進出も果たす。
産業のハイテク化を果たし国際競争力を獲得した日本で空前の好景気期を迎えるなか、大建設計の業態は市街地開発事業、清掃工場、高齢者・障がい者向け施設、体育館・球技場等のスポーツ施設、余熱利用の温水プール、保養施設、レジャー向けのテーマパーク、水族館等、多様化に向かい、多数の実績を残す。産業構造の高度化とソフト化が進む社会構造の変化を背景に、大建情報システム、大建エンジニアリング、大建環境開発、大建技研を設立。大阪事務所、東京本社は自社ビルを建設する。
高度情報化と国際化の時代を迎え、業務の領域はさらに拡大。一方で、水族館、医療・福祉施設、大空間を擁するプラントなどを得意とするスペシャリストとしての強みを活かし、国内外での事例を多数計画・設計する。また、木材架構を利用したアトリウム空間やスポーツ施設、大型木造コンサートホールの設計に参画するなど、技術力の発展と展開にも注力。全国展開するなかで地域密着の姿勢を極め、次世代に受け継がれるものづくりを続けている。