Directors & Officers Profile
役員プロフィール
監査役
平岡 省吉
1980年3月 | 東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻課程修了。 |
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1980年4月 | 大建設計入社 構造設計者として多種多様な建築の設計に係わる。 1992年2月から14ヶ月に亘りODA案件のコンサルタントとして、アフリカに赴任。 その後、プラント事業部にて国内外の各種プラント案件のPMを勤める。 2002年より再びODA案件(ニカラグア)に取組んだ後、 2004年に東京事務所副所長、2011年に同所長。 |
2013年 | 代表取締役社長就任。 |
2021年 | 代表取締役会長就任。 |
2023年 | 監査役就任。〜現職 |
私は、東京都立西高校を卒業後、1978年に東京大学工学部建築学科を卒業、1980年に同大学院の建築学専攻課程を修了し、同年4月に大建設計に入社しました。 入社以来12年間、構造設計者として多種多様な建築の構造設計に携わった後、1992年からODA案件のコンサルタントとして、14ヶ月に亘りアフリカのセネガル、ギニアに赴任しました。その後、プラント事業部にて主として海外案件のPMを勤め、2002年から再びODA案件(ニカラグア)に取組みました。 2004年に東京事務所副所長就任、2005年に執行役員就任、2011年から2年間の取締役常務執行役員東京事務所長を経て、2013年に代表取締役社長に就任しました。2021年に代表取締役会長、2023年に監査役に就任し、現在に至ります。
社長時代には、「会社にとって最も大切なことは、社員とその家族の幸福であり、幸福な社員がいい仕事をすればそれが顧客や社会への貢献となり、会社が発展する」との信念を持ちながら、会社のあるべき姿を模索してまいりました。現在は監査役として大建設計の発展を見守っています。
これまでの歩み
入社から 12 年間、構造設計者として製鉄所などのプラント案件をこなしながら、多種多様な構造物の設計に取組みました。当社として 2 番目の超高層建築となるヨコハマポートサイド地区再開発事業のオフィスビルの構造設計も担当しましたが、ものすごく薄い構造計算書で構造評定を通して、先輩方を驚かせたりしました。
1992年から14ヶ月間のアフリカのセネガル、ギニアへの赴任は人生の大きな転機でした。いずれもJICAの無償資金協力で数十校の初等教育校を作るプロジェクトで、セネガルでは砂漠を、ギニアではジャングルをパジェロで疾走していました。ギニアは極貧国のひとつでしたが、貧しくても逞しく、そして幸せに生きている人々に感動したものです。
プラント事業部時代には、様々な案件のPMを勤め、アジアを中心に海外を飛び回っていました。マレーシアペルワジャ製鉄では、「こんな陳腐な設計しやがって」とわめく施主の名物社長を相手に、「これが最も合理的な案です」と必死で説得し、その後、タンスリ(地方の王様)でもあるその大社長は、大いに私に信頼を寄せて下さいました。
2002年から、再びODA案件に業務主任として取組みました。ニカラグアの学校案件でしたが、治安の悪い国で、調査の折などはマシンガンを持った警官が付きっきりで警護してくれました。
2011年に常務取締役東京事務所長を拝命しましたが、ちょうどその年にUIA世界建築家会議が東京で開かれました。主催したJIA(日本建築家協会)から、ゲストとしてお越し下さったブータン首相の接遇役をおおせつかり、そのご縁で後にブータンを訪れた際に、ブータン国王ご夫妻ともお会いしました。王宮でお茶をご一緒させていただいたことは、忘れられない経験です。
「趣味は」と聞かれたら…
「趣味は」と聞かれたら「多趣味です」と答えます。ジャズ演奏(トロンボーン)、水彩画、バードカービング、プラモデル、ゴルフといろんな趣味にのめり込み、どれも一所懸命です。
ジャズの世界は奥深く、なぜこのコードでこの音がかっこよく響くのだろうかなどと、理論だけでは把握しきれない不思議な音の世界を探りながら、少しずつ腕を磨いています。ジャズクラブを借り切って自身のライブを行ったこともあります。
水彩画では個展を開きましたが、傍らに展示したバードカービングの作品の方が注目を集めてしまい、失笑してしまいました。
さすがに年には勝てず、ゴルフの飛距離は落ちてきました。後輩たちに勝てないことがとても悔しいこの頃です。