Directors & Officers Profile
役員プロフィール
取締役 専務執行役員トータルソリューション部門統括
前田 幸宏
1965年 | 大阪船場で生まれました。 |
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1987年3月 | 大阪市立大学 工学部建築学科卒業。 |
1987年4月 | 大建設計入社後 大阪事務所で意匠設計に携わる。 |
2017年 | 大阪事務所長就任。 |
2023年 | トータルソリューション部門統括就任。~現職 |
私は東京オリンピックの翌年に大阪の船場で生まれました。結婚するまで大阪市内に住み、その後府下に居を構えて現在に至っています。生まれてこのかた大阪を離れたことがなく、大阪弁しか話せない身体となってしまいました。大阪発祥の大建設計に入社できたのも、不思議な縁を感じています。
30数年のキャリアの中で、ありとあらゆる用途の建物を設計させていただきました。公営住宅の標準設計に始まり、コンサートホール、公立病院、私立高等学校、市民体育館、リゾートホテル、ゴルフ場のクラブハウスなどでは先輩の指導のもと手書きの設計図をたくさん書きました。その後、設計チームのリーダーとして冷蔵倉庫や企業社宅、タワーマンション、生涯学習施設、公立中学校、市街地再開発、警察署、庁舎などを手がけました。複合化された施設の設計が多かったように思います。
その後、大阪事務所長として単独事務所の経営に携わったのち、トータルソリューション部門統括として、さまざまなプロジェクトに取り組むため、全国の事務所に所属する技術者をコーディネートする仕事を主にしています。
手がけた作品
貝塚市コスモスシアター
入社2年目に設計コンペ(当時はコンペしかなかった)の担当となり、見事当選した建物です。1200席のコンサートホールと500席のシアター、公民館の複合施設でこれらをリニアに配置し、共通のエントランスホールでつなぐシンプルな構成となっています。コンサートホールは音響性能を重視し、関西では初の走行式音響反射板を備え、1席当たり10㎥を超える室容積を確保して豊かな響きを実現できました。余談ですが、このホールで娘が高校合唱コンクールに出演したときは、親バカですが感動しました。
宮古島マリンターミナル
離島の観光振興を図るため、民間投資により整備された複合施設で、1000席の多目的ホールと離島航路のフェリーターミナル、136室のリゾートホテルから成ります。リゾートホテルはサンタフェ・スタイルをコンセプトに、アドベ粘土の色と琉球石灰岩の風合いを融合させることがデザインの核となっています。現地ゼネコンの技量と闘いながら、FFEも含めてデザインの細部を詰めていきました。
ローレルタワー住道サンタワー
住道駅前の府営住宅跡地を民間資金で開発した住宅市街地総合支援事業です。200戸のタワーマンションと大東市の生涯学習施設、商業施設で構成されています。これらの施設を駅直結の屋根付きペデストリアンデッキで接続し、駅南側の賑わいを創り出しています。タワーマンションは水廻りも変更できる「自由設計」を全戸に採用しており、数名のインテリアコーディネーターを指揮しながら、設計監理をやり遂げた想い出深い建物です。企画営業段階から携わり、住宅購入者との内装打合せにも参加しながら濃密な数年間を過ごしました。
紀の川市立粉河中学校
市町村合併で得られた起債を利用した、中学校の移転新築事業です。同時に整備する粉河駅前広場に面しているが奥に広がる凸型の敷地形状で、校門から校舎への動線が課題でした。校門から2列の桜並木を連続させ、その南側に体育館、そして校舎、奥に運動場を配置し、豊かなアプローチ空間を通りながらそれぞれに入れるよう計画しました。校舎はロの字平面で授業間の移動時間に眺められる中庭を配し、休憩時間に生徒が憩える場所を中庭中心に点在させています。竣工式後の建物説明会のとき在校生徒から「このような学校の設計ができる建築士になるためにどんな勉強すればいいですか」と問いかけられたとき、設計という仕事を選んでよかったと思いました。
私の日常
私は双子の父親で世話をするこどもの担当を決めていましたから、育児休業をとる社員の苦労を少しは分かっているつもりです。休日に双子を連れて会社で仕事したことも、今から思えばイクメンの走りだったかともいます。
家族旅行や映画が私のストレス発散法です。どちらも日常を忘れさえてくれることができます。テーマパークや水族館、温泉が定番で、旅先に赴くときの高揚感がたまらなく好きです。また、スターウォーズのように奇想天外でアクションてんこ盛りの作品を、誰にも邪魔されない映画館で見るのが休日の癒しとなっています。